◆文化財紹介
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   歴史散歩

しんぐうもりとしでんしょうのつか■鹿瀬町鹿瀬

悲劇の新宮氏一族

 鹿瀬を通る国道459号の道沿いに会津の武将新宮盛俊の墓と伝承される塚があります。
 室町時代、会津地方を割拠する豪族は勢力を争って戦いをくりひろげますが、芦名氏と、新宮氏の戦いは熾烈をきわめました。応永27年(1420)、新宮氏が敗れて新宮氏は落城し、盛俊は討死したとも、越後へ逃れたともいわれています。その後、越後に逃れた新宮一族は津川狐戻城を攻めますが、結局戦いに敗れて一族は滅亡しました。
 鹿瀬に残る塚は、いつの頃からか、悲運の武将新宮盛俊が眠る墓と伝承されてきたものです。

 

■データ
・文化財指定/昭和56年(1981)12月8日
・所在地/
新潟県東蒲原郡鹿瀬町大字鹿瀬字漕渡5397番1
            (国道459号沿い)

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