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いがらしけじゅうたく■鹿瀬町実川

雪国農家の暮らしと文化

 阿賀野川の支流実川の渓谷に沿って最上流まで登ると、飯豊山麓の厳しい自然環境の中で独自の生活習俗をつくりあげた実川集落の歴史を今日に伝える五十嵐家住宅が姿をあらわします。

五十嵐家住宅は、豪雪地農家の特徴をそなえ、主屋と土蔵などの付属屋をそろえる江戸中期の山村農家。周囲の自然環境のよさとあいまって、貴重な住宅として高く評価されています。付属屋には農機具、民具など多く収蔵され、雪深い山村農家の自給自足の暮らしを伝えています。

 現在の当主五十嵐彦吉さんは五十嵐家十三代目。江戸から続く貴重な文化財を守り続けています。

 


■五十嵐家座敷
昭和20年の土砂崩れでは、この座敷にまで土砂が流れ込みました。しかし、頑健な柱はびくともせず、現在もかわることなく家屋を支えています。

■見どころ
・主屋と付属屋
・実川渓谷と万治峠
・小川芋銭と安部能成の句、歌碑

■データ
・建立年/主 屋 宝暦9年(1759)
     上手蔵 弘化4年(1849)
     下手蔵 大正13年(1924)
・文化財指定/平成3年(1991)5.31
・所在地/新潟県東蒲原郡鹿瀬町大字豊実736番地

 

実川の水上遠く訪ね来て   
   人のまことあふぞ嬉しき

時鳥武陵の民の早苗取り

■安部能成(あべよししげ)の歌碑
鹿瀬から渓谷沿いに訪ね来た能成は、実川の自然と人々のもてなしに感動してこの歌を読みました
■小川芋銭(おがわうせん)の句碑
万治峠を越えて、実川に下る途中ではちょうど田植えの真っ盛り。芋銭はこの光景を句に残しました。また万治峠の頂上にももう一つ句碑があります。
「わするなよ万治峠のほととぎす」芋銭子
五十嵐家を訪れた文人墨客
小川芋銭・おがわうせん(1868〜1938)安部能成 ・あべよししげ(1883〜1966)

 五十嵐家への山道を行くと、途中の山渓寺跡地に小川芋銭と安部能成の句、歌碑がたっています。
 芋銭は「かっぱの芋銭」といわれるほど幻想味豊かな作品を描き、書や俳諧にもすぐれた日本画家です。大正4年の初夏、芋銭は万治峠を越えて五十嵐家を訪れます。峠より見える小さな棚田は田植えの最盛り、飯豊連峰に囲まれた実川はまさに桃源の境であり、五十嵐家で数日遊んで俳句にその思いを託しています。
能成は夏目漱石門下の逸材で、哲学者、教育家として活躍。戦後は文部大臣、学習院長の要職をつとめました。大正11年夏、同じ漱石門下生で五十嵐家の親類にあたる皆川正禧の紹介で五十嵐家に逗留しています。朝夕に見る飯豊の山々や万治峠、実川渓谷の眺望に感動し、村人とのあたたかい交遊にときを忘れて十日余りも過ごし、同家の「わらじ集」に歌をかきとどめています。
 ほかに、奥川の宮城三平(号を高陽)、津川の皆川正禧、馬取の今川文暁(号を魚心子)などが五十嵐家を訪れ、多くの書画を書き残しています。

 

■実川渓谷
住宅の前には実川渓谷。渓流の透明度は抜群で、釣り橋の上からでも川底が見えるほど。渓谷にはときおり鹿がやってきます。「鹿瀬」の由来はそこからという説も。

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