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   歴史散歩

くさくらどうざんあと■鹿瀬町角神

銅山跡に刻む盛衰の歴史

 阿賀野川の支流荒砥沢川に沿って約4キロの山道を登ると江戸、明治期に繁栄した草倉銅山跡が展望されます。
 江戸時代会津藩随一の山といわれた草倉銅山は、明治に入って古河鉱業の創立者古河市兵衛によって経営されます。新しい技術が導入されて産出量は飛躍的に伸び、明治中頃の最盛期には荒銅を積んだ帆かけ船十六隻が川を圧して新潟へ下ったといいます。明治末期になると産出量は減少し、大正3年休山になると、多くの人々が足尾銅山へと移っていきました。
 かつて六千年の人々が暮らしたという銅山跡の傾斜地には、事務所や社宅の石垣が散在し、生い茂った木や草の陰にひっそりと立つ山や坑道口で亡くなった人々の墓石が、日本経済の近代化に大きく貢献した名残をとどめています。

 

■坑道跡
昭和20年の土砂崩れでは、この座敷にまで土砂が流れ込
みました。しかし、頑健な柱はびくともせず、現在もかわ
ることなく家屋を支えています。

■草倉銅山精錬所跡
現在、精錬所跡は鹿瀬水力発電所角神ダムの水底に沈んでいる。

■隆盛期の草倉銅山精錬所
鉱石を川船で運ぶのに便利な地形を選び、草倉の本山から
角神に移された。

■データ
国道459号を日出谷方面に向かって約4キロ、睦月橋の手前を左折。車で15分程度。
または、青少年旅行村入口から赤崎荘手前T字路を右手へ入る。そこから車で20〜25分程度。

 

 

 

■古河鉱業創立者 古河市兵衛
草倉銅山を足がかりに、足尾銅山(栃木県)へと経営を広げた古河は銅山王と呼ばれた。

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